(出典「photoAC」)
「専制」は上の立場の人が独断で、勝手に物事を進めること。
「隷従」は盲目的に上の立場の人に従うこと。
「圧迫」は権力によって人を抑えつけること。
「偏狭」は偏った狭いものの見方で、差別につながる考え方と言えます。
「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を
地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」
細かい話になり申し訳ないのですが、
この部分の「平和を維持」するのが、「われら」なのか「国際社会」なのか、
その点が個人的には判断がつきかねるのですが、
①私たち日本国民が、「平和を維持」し、
国際社会が「専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる」中で、
私たち日本国民が「名誉ある地位を占めたいと思ふ。」のか、
②国際社会が「平和を維持」し「専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる」中で、
私たち日本国民が「名誉ある地位を占めたいと思ふ。」のか。
個人的に思うのはその前の文章で、
「日本国民は、恒久の平和を念願し」とありますので、ここでは①で考えたいと思います。
また憲法には元々、権力者を縛るものという意味がありますので、
「専制と隷従」という奴隷のような関係は、
国内はもちろん、国際的な関係の中でも行うべきではないことになります。
また人に対する「圧迫」は、
圧迫を受けた人から他の人への圧迫へと、連鎖していくと考えられますし、
「力による支配」というものは国内的にはもちろん、
国際的にも改めるべきのように個人的には思います。
また偏った狭いものの見方である「偏狭」は、
幅広く人の意見を聞くことや、知らないことを知ることで、
視野を広げる必要はあると思いますし、そういう教育を施すことも求められていると考えられます。
次の「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免(まぬ)かれ、
平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」
この部分では、全世界の国民が、恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利、
いわゆる【基本的人権】を全世界の人が持っていることを、
私たち日本国民が確認していることが書かれています。
また欠乏から免れるためには、資本主義のシステムが良いとしても、
その中で格差を少しでも縮める努力は、必要なことではないかと個人的には思います。
日本国憲法の前文を分かりやすく解説 普遍的な政治道徳の法則とは
さてようやく、憲法の前文の最後の部分になります。
「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、
政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、
自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」
ここの最初の「われらは、いづれの国家も」という言葉は、
私自身は「私たち日本を含めた、世界のいずれの国々も」と解釈しています。
また「普遍的」といのは、ここでは政治の舞台、つまり人と人との関係のことを表していますので、
人と人との関係の根幹をなしているような、どこの誰に対しても当てはまるようなものだと考えられます。
また「政治道徳の法則は、普遍のものであり、」というのが難しい部分になりますが、
これは「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」ことが、
「政治道徳の法則」であって、それが「普遍的なもの」と書かれています。
では「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」という「政治道徳の法則」が、
なぜ「普遍的なもの」と言えるのでしょうか。